多聞会

”多聞言葉”シリーズ(クハ‐32)

何のために?

 “何のために?”と問うのは、目的を明らかにするためにある。

 新しいことを始めようとするとき、「“何のために”、それをしようとしているのか?」を

自らに問い、その目的をきちんと言語概念化しておくのがよい。実は、成功するかしないかは、すでに、スタート時点で決まっているという。まさに、同感である。

 何かをなそうとするときは、先ずは目的を特定し、その達成に最適な手段を撰ぶのが、常道である。そのことが今日、さらに強調されだした背景にパラダイムシフトがある。つまり、過去の延長線上に未来が描けない時代だからである。

 慣れ親しんだレールの上をひたすら走ってさえいれば、成果が得られるという保証など何もないのである。いやむしろ、このまま走り続けると脱線事故に巻き込まれてしまうだろうという、嫌な予感さえするのだ。

 環境の激変に適応するためには、自らを果敢に変える必要がある。つまり、自己革新の断行だ。自己革新とは、古い自分と新しい自分との戦いである。慣れ親しんだ快適ゾーンの心地よさに妥協して、新しいことへのチャレンジをあきらめてしまうのか。それとも、新しい自分へ生まれ変わるまで戦い続けるのか・・・。まさに、自分自身との飽くなき戦いなのである。

 自己革新に踏み出した以上、元の木阿弥になっては意味がない。そうならないためにも、「何のために?」を問い、目的を明確にしておく必要があるのだ。

 何故か?“何のために”が明確になると、心の迷いがなくなる。ビジョンが明確に描けるようになるので、なすべきことにブレがなくなる。つまり、信念が生まれる。その信念がゆるぎない行動へ結びつくのだ。そして、その行動が成果を生むのである。

 この「目的〜信念〜行動」が循環化する思考・行動の原理は、何かを成し遂げた人であれば、誰もが体感している真理である。小生の数少ない経験においても、この原理・パターンにはまったときは、必ずといってよいほど成果を得ている。

 多聞会で自ら実践し、他へもオープンにしている『目標管理システム』は、上記の思考・行動の原理を具体化した成長モデルなのである。

 先ず、「何のために?(目的)」を問う。そして、あるべき姿(ビジョン)を明確に描き、現状との差(=問題)を捉え、その差を埋めるために具体的な目標を掲げ、その達成のための最適な手段を撰び、行動へ結びつける。さらに、「仮説〜実践〜検証」という経営サイクルの仕組みづくりをして、成果がでるまでやり続ける。

 「迷ったら、原点!」という言葉があるが、“何のために?”とは、原点に立ち返るための問いでもある。仕事、人生、起業・・・、“何のために?”を考えてみたい。

(H26.8.25) 

意見交換会 京都詳細

本日服重量級着て『120.20』

あるキング10.05申し込みします。

今回は軟弱者コ-ス『のんびり』

参加人数3名親父と中田画伯

中田画伯は滝井で癌の手術を

受け元気にやっております。

昔日旧岡下氏のご子息に兜の

色紙を描いてくれた人です。

imabari恐るべし今治

2014/ 8/15 12:55 2014/ 8/15 14:01 2014/ 8/16 11:28

昼食の重松販店超満員デザ-ト玉屋セントナンヤラ超満員晩飯はまる家、鳥林、佐松ほか満席にて予約不可の為予約取れず翌日に大島北のパン屋ペイザンはすごい田舎なのにこれまた超満員しかし総じて街はシャッター街が多くさびれてる雰囲気だが人が集まるとこに集まるようで重松で食べていた人が玉屋のミルクセーきのかき氷を食ってるのを見かけました。

tamon

多聞言葉”シリーズ(クハ‐29)

素直さ

 お墓参りで訪れた西本願寺で久し振りに住職のお話を聴かせて頂いた。

 「法要とは、故人の冥福を祈ることであり、無事に修行を終えて成仏することを祈ることです」

 「合掌(手を合わせる)とは、右手は仏の象徴(清らかなものや智慧)で、左手は衆生(自分自身のことで、不浄さを持っているが行動力の象徴)を表しており、仏と一つになることを意味するのです」

 また、相手に対して合掌する行為は、その人への尊敬の念を表現することだという。何となく理解していることでも、住職から改めて講話を頂くと、その行為の重要性と効果がヒシヒシと伝わってきて、腑に落ちてくる。

 腑に落ちる・・・。まさに、“素直さ”が心のなかに充満する瞬間である・・・・・。

 「仕事の日常性のなかに、もっと合掌すべき状況があったのではないか?」

 「それができていれば、事態はどう動いたのだろうか?」

 「恐らく、もっとお互いに感謝あふれる関係ができていたのではないだろうか?」

合掌とは、“素直さ”の象徴であり、感謝をもって生きることの重要性を気づかせてくれる行為なのだ。

 松下幸之助は、その著書『素直な心になるために』のなかで、「素直な心とは真理に通ずる心」だと述べ、“素直さ”には様々な効用があると示唆している。

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なすべきことをなす

 なすべきことに気づき、なすべきことは私心を離れ、命がけで行うという。

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思い通りになる

 人は誰でも自分の思い通りに他人や物を動かしたいと思う。そこでお互い相手と争い、自ら思い悩む。素直になれば、すべてに順応でき、思い通りになるという。

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こだわらない

“素直さ”とは、私心なく真理に従うという態度であるから、そこに一つの大きな安心感が生まれる。細かいことにくよくよせず、前向きに考えて、生きられるようになる。 

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日に新たに

 現状にとらわれずに、日に新しいものをつくりだしていけるようになる。

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おだやかな心

 いらざる対立がなくなり、お互いにおだやかな心でいれるようになる。

 もっと効用があると思うが、改めて“素直さ”の有難さを考えさせられた一日である。

(H26.8.4)