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“梅雨”バルーン(風船・ふうせん)バレーボール、6月のお知らせ  2016・6・7

 御礼 熊本地震募金、大会当日たくさんの仲間からご協力を、ありがとうございます。

    早い復興にむかえることを願って、3か所の支援団体に送金しました。

    募金17,473円(火のやま募金・ボアンティア支援5千円、日赤7,473円、

              重度障害児在宅支援・NPOサポート5千円)       

 

◎ 第12回 おおさか大会(6/5)は、30チーム300余名の参加と、今まで

  以上の楽しい歓声に包まれた盛会となり、終了することができました。

  選手とボランティアスタッフの皆さん、ご協力をありがとうございました。

 

◎  参加者からのクレームはほとんどなく、ルールに関してや部門別のコート割りに

対してのご意見はいくつかありました。次回の参考とさせていただきます。

 

*  今回もパラレルルール「ハンデのある人(障がい者・子ども・高齢者)中心」で、

車いす(ホイールチェア)部門のルールにはまだ不慣れな点があり検討します。

長居障がい者スポーツセンター・練習日 (参加申込みは、お早めに!) 

☆  チーム参加も個人参加も、無料です。

           
 7月17日(日)15:30〜17:30(2面

7月24日(日)15:30〜17:30(2面)

 

       
8月14日(日)15:30〜17:30、 8月27日(日) 9:30〜12:00

     10月2日(日)第10回記念 関西大会 舞洲障がい者SC

    ○
各地の大会・講習会・体験会などに、参画・協力させていただいてます。

   

6月の淀川区、東淀川区、茨木市、島本町、豊中市、京都市の練習に参加したい、

見学に行きたい皆さんは、普及会に連絡してください。

 

☆  普及会は「
ふれ愛

ささえ愛

笑い愛

」を大切にしています。

 

 「風船バレー用品             ◎ お問合わせは、下記にお願いします。 

 風船(直径40?桃色)1個150−    大阪ふうせんバレーボール普及会 会長 石井勝治

  鈴(特製)1個50−               〒533-0033大阪市東淀川区東中島1-17-5-637

  空気入(ハンドポンプ)1本600−          Tel/Fax 06−6815−3523

*新型・風船ゲージ(四つ折り)1個1,800−      (MP-mail)ishiii.
1413 @ docomo. ne. jp 

ゼッケン(肩ひも型.NO1〜6.8色)1枚1,050−」    (PC-mail)ishkatsu @ yahoo. co. jp  

(日本バルーンバレーボール協会・設立準備室を、普及会事務局内に立ち上げました。)

159.7

2014/12/12 11:18

”多聞言葉”シリーズ(探喫‐19)

組織モデル

 本日(6月6日)は、多聞会初代会長が殉職された日でもあります。当時の組織を振り返り現在の教訓としての新ビジネスモデル研究に活かして行きたいものである。

 “組織モデル”には、大きく二つの考え方がある。

 一つは、機械論的“組織モデル”。組織を仕事の側面(機能)から構造的に捉え、それぞれの働きを担う部品として人間を配置する。目的達成手段として有効な組織を合理的・計画的にデザインし、管理できるようなモデルを形成する考え方である。一方、この考え方は、機械をモデルとしているため、環境変化への適応性が悪く、硬直化し、制度疲労を起こしやすいといえる。(安定的な環境ではいいのだが・・・)

 もう一つは、有機体的“組織モデル”。組織を相互に作用し合う要素の集合体としてのシステムと捉えている。つまり、組織を構成するメンバーの一人ひとりの目的・意図・ニーズなどが相互に影響し合い、一つの全体を創り上げていく成長・進化のプロセスとして考えるとよいだろう。その大きな特徴は、自己組織化である。

 自己組織化(self‐organization)とは、生命の発生や社会構造の成立などに見られる、自律的に秩序をもつ構造をつくりだす現象のことである。その本質は、環境の変化に適応できるように、自己の仕組みに依拠しながら、自己を変化させていくところにある。

 私たちは今、パラダイムシフトの時代に生きている。大きなゆらぎの中にいる。変化が常態のこの世の中、ゆらぎは必然である。私たちは何を触媒として自己組織化されていくのだろうか・・・。

 もちろん、二つの組織モデルは二者択一ではない。両者を統合させる思考が大切である。いずれにしても、自社に合った“組織モデル”を再構築する必要がある。

(H28.6.6)

九州のB氏より入電

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”多聞言葉”シリーズ(探喫‐17B)

大局観

 「忙」とは「心を亡くす」と書く。目先の事に追われ、日々をバタバタと忙しくしている人の特徴は、一つに“大局観”の欠如である。つまり、本来の目的(根本)を見失って、枝葉末節的なことに振り回されていることが多い。

 企業の掲げる理念やビジョンこそが、その組織の存在に意義であり、「何のために」という目的を考えるときの原点である。また、経営者にとって大切な“大局観”は、それをベースに培われるものだと考える。

 “大局観”というと、安岡正篤氏の思考の三原則を思い出す。

 第一は、目先にとらわれず、“長い目”で見る。

 第二は、物事の一面だけを見ないで、“多面的・全面的”に観察する。

 第三は、枝葉末節にこだわることなく、“根本的”に考察する。

 経営者など上に立つ人にとって、これは心得ておくべき大切な考え方だと思う。

 これらは、「わが社をどんな会社にしたいのか(理念・目的・ビジョン)、社会にどう役立ちたいのか(使命観)、日々の経営判断において大切にしている物差しは何か(価値観)」等々、ものの考え方のベースとなる。

 市場のコモディティ化が叫ばれている今日において、企業の独自性を発揮させる唯一の手段は、理念経営の確立だと言われている。確かに、同感である、「理念のもつ効用とは何か?また、理念を浸透させるために何をなすべきか?」先ず、後継者にとって必要なことは、自社の掲げる理念という大義(錦の御旗)に対し、熱意と信念を持ち得ているかどうかである。

 そして、“大局観”を持って、その実現のための方向性を指し示し、周囲を奮い立たせるようなリーダーシップとコミュニケーションを自家薬籠中の物にすることである。

(H28.5.23)

九州のB氏より入電

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”多聞言葉”シリーズ(探喫‐17B)

大局観

 「忙」とは「心を亡くす」と書く。目先の事に追われ、日々をバタバタと忙しくしている人の特徴は、一つに“大局観”の欠如である。つまり、本来の目的(根本)を見失って、枝葉末節的なことに振り回されていることが多い。

 企業の掲げる理念やビジョンこそが、その組織の存在に意義であり、「何のために」という目的を考えるときの原点である。また、経営者にとって大切な“大局観”は、それをベースに培われるものだと考える。

 “大局観”というと、安岡正篤氏の思考の三原則を思い出す。

 第一は、目先にとらわれず、“長い目”で見る。

 第二は、物事の一面だけを見ないで、“多面的・全面的”に観察する。

 第三は、枝葉末節にこだわることなく、“根本的”に考察する。

 経営者など上に立つ人にとって、これは心得ておくべき大切な考え方だと思う。

 これらは、「わが社をどんな会社にしたいのか(理念・目的・ビジョン)、社会にどう役立ちたいのか(使命観)、日々の経営判断において大切にしている物差しは何か(価値観)」等々、ものの考え方のベースとなる。

 市場のコモディティ化が叫ばれている今日において、企業の独自性を発揮させる唯一の手段は、理念経営の確立だと言われている。確かに、同感である、「理念のもつ効用とは何か?また、理念を浸透させるために何をなすべきか?」先ず、後継者にとって必要なことは、自社の掲げる理念という大義(錦の御旗)に対し、熱意と信念を持ち得ているかどうかである。

 そして、“大局観”を持って、その実現のための方向性を指し示し、周囲を奮い立たせるようなリーダーシップとコミュニケーションを自家薬籠中の物にすることである。

(H28.5.23)

115.70

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“多聞言葉”シリーズ(探喫‐770)

問題

 「どうして、私の周辺には“問題”ばかりが多いのだろう?」と悲観的になっている人が結構いるという。

 しかし、よく考えてみると人生も仕事もつねに“問題”と向き合い、その“問題”解決の連続性のような気がする。そう考えると、“問題”そのものが多いことで悲観する必要はなく、悲観すべき要因は他のところにありそうだ。

 「“問題”はできれば避けて通りたい」というのが、多くの人のホンネだろう。でも避けられないから、経験と思いつきで、眼前のモグラ叩きをやってしまう。やっと叩き終えたかとと思えば、また新たな“問題”が現れる・・・。それでは疲れ果ててしまうのが落ちであろう。

 一度、“問題”を本質から捉えなおしてみて、その観点から整理整頓してみる必要があるのでなかろうか。

 そもそも“問題”とは何か?小生のなかでは、“問題”の定義は明確である。「あるべき姿と現状との差」、それを“問題”と考えている。だから、“問題”解決とはその差を埋めることであり、そのために何をすればいいのかを考えることである。

 “問題”の定義がはっきりすれば、あとは次の“問題”解決の手順に従って、なすべきことを目標化して、実行するのみである。

 1.“問題”の特定(どこに“問題”があるのか。“問題”の全体を把握し、優先順位を

つけて絞り込む)

 2.原因の究明(その原因は何か。「Why?」を徹底し、因果関係を突き詰める)

 3.解決策の立案と実行(「誰に、何を、どのように」を明確に落とし込む)

 以上のように、“問題”の本質を捉えなおし、正しく“問題”と向き合うことができるならば、“問題”こそが、成長の真の要因ではないかと考える。

 だが、現状において“問題”に対して悲観的にならざるを得ないのは何故だろうか?

それは、あるべき姿を見失ってしまい、“問題”の特定ができないままモグラ叩きの状態に陥ってしまっているところにある。つまり、報われない努力をしてしまい、疲れ果てるのである。

 元来、“問題”とはその人にとって能動的なものである。決して受動的に対応する性質のものではなく、主体性を発揮する機会だと思う。

 「“問題”とは、自らがつくり出した成長のための壁だ」と考える。

その気

 “その気”とは「ヨッシ、一丁やってみるか!」と行動を起こす気持ち、つまり、やる気になることである。

 本を読むことや、いろいろな研修会やセミナーなどに出て、先達者たちの考え方や成功体験に触れると、“その気”スイッチがオンになって、俄然意欲的になることがある。学後の実践へ踏み出すための第一歩である。

 「人を動かす」というと少しおこがましいが、人を“その気”にさせるというか、やる気になってもらうのは、そう簡単なことではない。

 どうすれば、人は“その気”になるのであろうか?

 “その気”のメカニズムをつくるのは、その人のもつ内的欲求であり、それを貫く意志が絶対条件である。その意味において、“その気”にさせる最大のポイントはその人の主体性をいかに引き出すかにかかっていると考える。

 そして、主体性は自覚から始まる。だから、自分の頭で考え、問題の本質に気づかなければ生じないのだ。「自分で考え、自分の問題の本質」に気づかない限り、人は決して“その気”にならないのである。

 私は、吉田松陰の下記の詩が好きだ。

      「かくすれば かくなるものと知りながら

                  やむにやまれぬ 大和魂」

 なぜ好きかというと、この詩には考え抜いた末の直情径行といってよいほどの熱い想いと行動があるからだ。

 さらに、この詩には人を動かす、つまり“その気”にさせる力がある。

(H28.5.20)