新時代のArt Scene ~現代実力作家からのメッセージ展~

DSC_1288芸術・文化・音楽の街として発展を続ける川崎にて、現代に活躍する実力作家からのメッセージをプレ-トにして、作品と同時展示する美術展。令和元年の記念すべき年であり、美術界としてはレンブラント没後350年、日本オランダ友好展として、オランダの美術評論家ポ-ル・フロ-ト氏が来日・監修による【新時代のア-トシ-ン】展を開催します。ポール・フロ-ト氏より中田伸吾先生として招待されて出席実演までされるとのことで紋付き袴で伺うとのことであります。紙こより画実演は14日土曜日の午前午後と15日日曜日の午前を予定しております。

2019年9月11日から15日午前10時から午後7時最終日は午後2時まで

ア-トガ-デンかわさき〒210-0007神奈川県川崎市川崎区駅前本町12-1リバ-ク3階JR川崎駅東口直結

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公益財団法人川崎市文化財団  株式会社アートクロス

一般社団法人大阪ふうせんバレ-ボ-ル普及会 会長 石井勝治

isii館長バルーン(風船・ふうせん)バレーボール7月のお知らせ  2019・7・1

 

みなさん、6/2 終了した大阪大会に、たくさんのご意見ありがとうございました。

次の11月3日(祝・日)舞洲SCの第13回関西大会に、参考にいたします。

「障がい者と、プレーにハンデのある人(子どもや高齢者)とのハンデレベルの

決め方を、もっとわかりやすくしてほしい。」とのこと、今後も努力します。

 

チームの関係者・ボランティア・スタッフは、長居の練習会(下記)に参加して

「ルールや申し合わせ」を確認してください。

                                            

長居障がい者スポーツセンター・練習日 (参加の申込みは、お早めに!)

7月15日(祝・月)  15:30~17:30 (2面)=審判・講習もあります

8月12日(祝・月)  11:30~13:30 (2面)=審判・講習もあります

9月16日(祝・月)  13:30~15:30 (2面)=審判・講習もあります

下記地区の練習会、参加・見学したい方は、普及会に連絡ください。

東淀川区、淀川区、豊中市、茨木市、

 

* 学校・支援学校・事業所・作業所・施設・市民活動など体験会は、ご相談ください。

 

“ ふれ愛 ♡ ささえ愛 ♡ 笑い愛 ♡ ”を大切にしています!

                                                               

 

* バルーン(風船)は、ゴムの木の樹液から作られた、地球にやさしい製品です。

鈴は、視覚障がいの選手から「もっと心地よい音の鈴に変えてください。」との

ご意見から、日本一と呼ばれている特製品を使っています。

くわしくは「http://www.fuusenvalley.shop/」検索か ⇒QRコード・見てください。 

                                                                  

  • 普及会は、法務局より一般社団法人として指定されました。
  • 今後は、「一般社団法人 大阪ふうせんバレーボール普及会」として活動します。

 

「風船バレー用品・予算など相談可     ◎ お問合わせは、下記にお願いします。

風船(直径40㎝桃色)1個150-鈴1個50- 一社)大阪ふうせんバレーボール普及会 会長 石井勝治

風船5個750+〒140=890円+8%          〒533-0033 大阪市東淀川区東中島1-17-5-637

風船5個750+鈴4個200+〒205=1155円+8%   Tel/Fax 06-6815-3523

 風船50個入1箱・鈴50個入1袋、別途価格     (MP-mail)ishiii. 1413 @ docomo. ne. jp 

ポンプ600-・ゲージ300-,1200-・ゼッケンは別途」   (PC-mail)ishkatsu @ yahoo. co. jp

(日本バルーンバレーボール協会・設立準備室、普及会事務局内に立ち上げてます。)

中田伸吾(紙こよりの会)氏より入稿

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”多聞言葉”シリーズ(探喫09‐23)

先日、紀伊國屋書店に立ち寄ると、松下幸之助さんの書籍がズラリと並んでいるコーナーがあった。そこで目に止まったのが『道をひらく』の文庫本での三部作。もうだいぶ前に読んだ本ではあるが、改めて読んでみたくなり購入する。

“道”といえば、老子の説く「道(タオ)」を思い浮かべる。それは「宇宙の永遠不変の法則」のこと。老子の言葉としてすぐに思い浮かぶのは、「無為自然」と「上善如水」・・・。「我を張らずに、自然に生きる」「柔軟、かつ謙虚であれ」という生き方、“道”を学ばしてもらった。

松下幸之助さんは、『道をひらく』の中で、“道”について概ね次のように述べている。

「人それぞれに天与の尊い道がある。それは自分だけしか歩めない、かけがえのない道である。・・・だから、他人の道に心を奪われるのではなく、心を定め、自分の道を歩むべきだ」と。つまり、“道”とは人生そのものであり、その生き方だといえよう。氏は、自らの経験と人生に対する深い洞察を通して、“道”の本質を説きながら、次のようなときにその人の“道”の価値を問われるのだと示唆している。

  1. 運命を切りひらくために
  2. 日々を新鮮な心で迎えるために
  3. ともによりよく生きるために
  4. みずから決断を下すときに
  5. 困難にぶつかったときに
  6. 自信を失ったときに
  7. 仕事をより向上させるために
  8. 事業をよりよく伸ばすために
  9. 自主独立の信念をもつために
  10. 生きがいある人生のために
  11. 国の道をひらくために

「素直さを失ったとき、逆境は卑屈を生み、順境は自惚れを生む」

「志を立てれば、事はもはや半ばは達せられたといってよい」

「人生は真剣勝負である。だからどんな小さな事でも、生命をかけて真剣にやらなければならない」

「死を恐れるのは人間の本能である。だが、死を恐れるよりも、死の準備のないことを恐れた方がいい」

今回は、読書感想文のようになったが、座右の書がまた一つ増えた。 龍鳳

(R元.7.1)

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その名は(仮題) 未発表ノンフィクション伝記あらすじkabuto 

1.であひ

時は2671年12月8日第二次レストラン戦争勃発。提督は新型戦艦建造計画作成(バトルシップレストラン)計画に基づきロフト内の生活骨董店に資材調達に向かふ。その時店番をしておられたのが画伯である。名刺交換していたのではあるがいきなり翌日会社に訪れてこられ飾ってあった書(1月の中ごろであったと思うが書初めで描いたものがそのまま残っていた)を誉めまくるのである。そして実はといふと自分は画家であり書道家でもあるとのことだ。確かに世界美術年鑑に載っており(油絵)現在は墨字絵(墨で描くのだが字を書いて絵になるといふ面白いもの)をやっているといふ。

2.太陽艇

2010/10/ 9 22:11

時は2672年8月8日ついに太陽艇の進水式が執り行われることとなり同年9月1日には連合艦隊旗艦となる。(バトルシップレストランのグランドオ-プン)そして翌年3月には太陽艇第参艦橋において墨字絵等を作成することになる。此処に合作堂が誕生し名作(迷作)八咫烏に仁王立ちが生まれたのだ。そのほかにも画伯の作品は艦内いたるところに飾られていたのである。

3.アクシデント

時は2673年4月8日桜は満開、画伯が大腸がんステージ4宣告され緊急手術するも余命6月となってしまったのである。しかし病は気からである。6か月を超えたころにあえて個展(墨字絵隊観閲式)を開催することにしたのである。(10月)追悼に式典になる可能性が大であった。とにもかくにも画伯は作品制作に没頭していくのであった。その間に治療の方はハイパ-サ-ミアとのであひと適合があり。な、なんと墨字絵隊観閲式の10月には元気に主役として参加されて以来第6回(7年間)を数えることになりますます多忙を極めて元気に活動されております。

4.ギャラリ-南蛮と紙こよりの会

時は2673年10月16日紅葉の頃、ギャラリ-南蛮で展覧会が行われている。此処は大阪梅田から近々にある阪急中津駅直で広さも十分で何しろ天井が高いので畳2畳ほどの作品も難なく飾ることが出来るのである。此処は提督が偶然なのか必然なのか見つけたのであるがオ-ナ-が神社主で、のちに作品を奉納させていただいたり後々には紙こよりの会に参加いただいたりすることになっていきます。第2回観閲式を迎えるころに画伯の作風が一変するのである。それは今まで、筆・墨・硯にこだわりがあったのが、な、なんとティッシュぺ-パ-をこよりにして筆とし墨汁液をたっぷり浸しゆらゆらと描いてゆく。そして百均の絵の具で淡く色づけしてゆくのだ。その後重要文化財荒井邸を皮切りに湊川神社や当麻寺・勝福寺・老人介護施設・障がい者施設等々を訪問し実演だけではなくお集まりいただいた人たち(子供たちも)に実際に描いてもらうのである。それからついに青年会議所を巻き込んで紙こよりの会が発足したのである。時に2678年4月8日

5.日本画新部門に登場

時は2679年2月20日ついに紙こより画が画壇に登場、美術の森出版㈱現代美術人気作家年鑑に初登場、同年5月17日には日中友好会館において美術評論家の長谷川栄氏より直々に招かれオ-プニングセレモ二-付展覧会に出席することになる。展示は代表作の蓮華の子だ。

6.轟沈

時は2675年4月9日前出の太陽艇の話なのですが太陽艇は当時世界最厚DSC_1667を誇る45ミリメ-トルの鉄板を持つステ-キハウスでありましたが時代は既に電子調理器に移り2675年4月7日最後の出撃(通常営業)を終えて同年4月9日轟沈(閉店)。太陽艇は平和の尊さを教えたが、また、生きる為の教訓を数多く残している(決断より)

7.その名は

時は現代その作家の名前は誰もが知る巨匠『中田 伸吾』その人である。

世界の山ちゃん結婚す

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kani”多聞言葉”シリーズ(探喫09‐18)

修養

渋沢栄一の『論語と算盤』を読んでいると、「“修養”は理論ではない」という言葉に心が惹かれた・・・。

そういえば、“修養”という言葉を耳にすることが少なくなったような気がして、辞書で調べ直してみると、“修養”とは「学問を修め、徳性をみがき、人格を高めるよう努めること」とある。

戦前の日本の教育には、「修身の時間」があったが、GHQの占領政策の一環で日本の教育現場から姿を消してしまったという。その修身と同義である。その政策を聞いたある外国人有識者が、その当時、アメリカの占領政策に対して「非人道的な行為だ」と批判をしたらしい。

“修養”とは、自分の精神的な成長のために取り組むことであるが、今風の言葉でいうと、「自分探しをする」、「自己啓発する」、「アイデンティティを確立する」等々であろうか。つまり、「自己実現」をめざすことであろう。

かつての修身の教科書には、「吉田松陰を始め、勝海舟、加藤清正、米国初代大統領ワシントンなど、古今東西の偉人の話が載っていたのです。そして、その方々の具体的なエピソードを通して、“正直”、“勤勉”、“正義”、“公益”などの徳目を教えていました」とある。

歴史上の偉大な人物の生き様から、人間としてのあるべき姿を学ぶことによって、自らの徳性をみがき、人格形成をするための学習には、大変意義深いものであっただろうと想像に難くない。

よく指摘されてきたことでもあるが、戦後の日本の教育は、知識教育を偏重し過ぎて、

修身で教えていた徳目や、日本の歴史、文化、慣習を蔑ろにしてしまったのではと思う。その結果、エコノミック・アニマルと揶揄され、日本人の精神性の低さが問題視されるようなこともあった。

紙こよりの会にとって運が良かったのは、8年前の『太陽艇・墨字絵隊』(主宰・中田龍鳳)との出逢いである。「人間としていかに生るべきか?」ではなくて、大切なのは「人間としていかに生きたか?」であるということを教えて頂いたことである。

読む本の選び方、尊敬すべき人物とはどんな人なのか、物事の優先順位の決め方など、すべてが変わったような気がする。

本日は山口多聞提督,77年前に航空母艦飛龍とともにミッドウェイ沖に轟沈された日でもあるのだ。心・技・体のバランスを考えて学び、そして実践し、“修養”を積みたいと思う。

(R元.6.6)metio