yoiotosiwoよいお年を!

多聞言葉”シリーズ(クハ‐48)

創造的解決

 私たちが日常的に抱え込んでしまっている問題の多くは、慣れきった思考や行動の様式にひそむ病理であると考えてみよう・・・・・。

 どんな職場にも、もぐら叩きのような仕事をしている人たちがいる。目の前に生じる問題の対処に追われ、机上には仕掛かり中の仕事が山積み状態で、本人のストレスも相当なものだろうと推測できる。

 なぜ、このような事態が生じるのか?原因を一言でいうと、習慣病。人は誰にでも慣れ親しんだ快適ゾーンがある。そこへどっぷりと浸かったままでいると、いつも事後的に問題と向き合わざるを得ない体質になってしまうのである。

 つまり、その自身の体質こそが問題の真因と考える。だとすれば、「問題の背景にある自らの体質から抜け出さないかぎりは、根本解決にはならない」ということになる。

 どうすれば、脱却できるのか?「問題ではなく、機会に目を向けよ!」(ドラッカー)という言葉がある。もちろん、問題は無視できない。対処は必要だが、すぐに飛びつく前に問題を整理してみよう。

 そこで、提案したいのが“創造的解決”法である。対症療法ではなく、根本療法的な考え方といってもよいだろう。結果の処理としての問題解決ではなく、未来を切り拓くために現状の何を変革していく必要があるのか・・・。問題の本質はどこにあるのかを問うところから始める。

 “創造的解決”と単なる問題解決とは違う。“創造的解決”には、改善を積み重ねるだけではなく、改革が必要だ。一人ひとりの自己革新はもちろん、組織的な抜本革新も求められるだろう。まさに、創造的な破壊なのである。

 さらに、“創造的解決”に必要なのは、ヴィジョンである。どんな状況が起きようとも、実現したいと切望するヴィジョンである。自らが想い描くヴィジョンと現状との差、その差こそが解決すべき問題なのである。

 最近、よく引用させてもらう好きな言葉がある・・・。「夢や志を持つと、自分が思っている以上に、人間は強くなれる」。まさに、ヴィジョンの力だといえよう。

 現状をヴィジョンに引き寄せようとする力が働き、いつも心地よい緊張感を心のなかに保つことができるのである。自らが掲げたヴィジョンに近づくために、自分自身を変えようとする、まさに自分との戦いである。

 単なる問題解決と“創造的解決”との違いを十分に理解したうえで、問題に取り組むと、成果が全然違ってくる。

(H26.12.24)

本日某百貨店にていい話を聞いてまいりました

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古き良き伝統  (阪急の提督 山本銀作 談話)ライン

 昔、恐らく昭和一桁以前の古き良き時代の日本海軍では、「ユーモアを解さない者に海軍士官たる資格は無い」と教えられていたそうです。
戦争中は余裕が無くなったのか随分酷いことになっていたようですが、こういった伝統は今も生きているのかもしれない。 今回はそういう話です。  今を去ること7年前、2000年の7月4日。この日はアメリカ合衆国の独立記念日で、20世紀最後の独立記念日を祝う為にニューヨーク港で洋上式典が行われました。
世界各国から170隻の帆船と70隻の海軍艦艇が参列し、
日本からは幹部候補生の遠洋航海に出ていた海上自衛隊の練習艦隊(練習艦「かしま」、「ゆうぎり」の2隻)が参加していました。  その翌日、ニューヨーク港の岸壁に停泊していた「かしま」の横で、イギリスが誇る豪華客船「クイーン・エリザベス2」が岸壁に接岸しようとしていました。
世界一周クルーズの途中、独立記念日に沸くニューヨークに寄港したものです。
ところが、7万トンの巨体がタグボートに押されている最中、ハドソン川の流れに押されて「かしま」の艦首に接触してしまいます。  「かしま」の被害は大した事が無く、パイプが曲がり塗装が剥げた程度だったそうですが、
何にせよ停泊中の船に当てたというのは大失態ですし、しかも相手は一国の軍艦、 しかも練習艦隊旗艦である訳です。  練習艦隊というのは将来の海軍を担う士官候補生を育てるものであり、小なりといえどもその格式は高い、というのが世界での共通認識です。
着岸した「クイーン・エリザベス2」からは早速、船長のメッセージを携えた機関長と一等航海士が「かしま」にお詫びに出向きました。  出迎えたのは練習艦隊司令官吉川榮治海将補と「かしま」艦長上田勝恵一等海佐。
丁重に謝罪する「クイーン・エリザベス2」の二人に対し、上田艦長はこう返しました。 「被害は極めて軽微であり、こちらはまったく気にしていません。
むしろ、我々は女王陛下にキスされたことを非常に光栄に思います」  客船が軍艦に接触した、というシリアスな場面でしたが、上田艦長の小粋な発言で全ては丸く収まりました。
このことはたちまち式典に集まっていた世界中の船乗りたちに広まり、大変な評判を博したそうです。
咄嗟にこういう事を言って場を収めるセンスというのは非常に得難いものだと思いますが、
伝統としてこういうものが受け継がれているのだとすれば大事にして欲しいものです。 

チャレンジ

”多聞言葉”シリーズ(クハ‐47)

実践事例

 

 新しいことにチャレンジし、それを成し遂げようとするときには数え切れないほどの失敗を重ねる必要がある。折れそうになる気持ちに鞭を打ちながら踏みとどまり、前へ進むのは難儀なことだ・・・。どれだけのハードルを越えれば、到達点にたどり着くのか、イメージが湧かず、気が遠くなるほど難しく感じるときもある。

 そんな中で、全体の構図やパターンをとらえ、いくつもの“実践事例”を積み重ねながら、現状打開の起爆剤となる人たちが、少数ではあるが、やがて出てくる。いわゆる、先駆者と呼ばれる人たちだ。

 しかし、風穴があき、新市場が生まれたとしても、それだけでは不十分である。成長市場へと発展していくためには、市場の原理が働く必要があるし、そのためには一定以上の普及を図る努力が、さらに必要となる。

 新市場の価値に気づき、「やってみよう!」という心意気のある人たちを、事業機会溢れるチャレンジゾーンに誘い、手を組むことだ。つまり、“実践事例”を惜しげもなくすべてオープンにして、協働の場をつくりあげるのが肝要だ。そうすると、もっと多くの“実践事例”がスピーディーに積み上がってきて、気づきの輪が広がる。

 私たちは、「実物を自分の目で確かめた!」「他の人にできたのなら、自分にもできるだろう・・・」と思えば、自らの想像の翼を広げ、「やってみよう!」という気持ちになるものだ。“実践事例”には、そんな効用があるのだと思う。

 ただ、問題が一つある。“実践事例”を手にしたからといって、すべての人が成功するとは限らないのである。なぜだろうか?

 “実践事例”をうまく活用するためには、それが「仮説〜実践〜検証」という経営サイクルの循環過程から生まれたものであるという認識が大事だ。つまり、結果だけをハウツー的に捉えるのではなく、全体の流れとして観るべきである。

 仮説とは、目的と手段という全体構図のパターンである。実践とは、様々な関係性のあり様によって変化するプロセスであることも観察しておく必要があるだろう。そして、検証は次の仮説にどう反映されたのか・・・。そう、全体の流れとして捉える。

 そのためにも、多くの“実践事例”を積み上げ、できれば一つひとつの事例をグループ討議しながら、お互いの理解を深め、共有化できていけば、貢献の輪が広がっていくに相違ない。

 「やってみよう!」という心意気のある人たちで、まずは協働の場をつくることだ。

(H26.12.15)