総合芸術

“多聞言葉”シリーズ(探喫10‐11)

総合芸術

 連休の間に彩雲氏の作品を軸にするために福島に向かった。

 「紙こより画は、いわば“総合芸術”のようなものだ」(「剣道などの武術と価値創造の全技法」龍鳳)と・・・。

 つまり、極めて学術的な領域なので、

2011/ 6/23 20:32

2011/ 6/23 20:32

その問題を解決するのに必要な専門的な知識や技術をひとつふたつ極めたからといって、通用しないのだという。

 さらに、いかに問題解決の手法を学んでも、実践し、場数を踏まないと通用しない世界でもある。なぜかというと、現実の紙こよりの会の課題は、たった一つの正解があるわけではない。経験値がものをいう領域なのだ。小生も紙こより画の創始者として同感である。

 画伯は、「問題解決」に二大要素として次の二つを挙げている。

 一つは、「分析力」。先ずは、徹底して分析し尽くすことだ。丸ごとでは処理できない課題を、どんどん要素分解していくことによって、問題の本質に迫っていくこと。

 次に必要なのが、「構築力」。何をどういう順番で描いていくか、誰をどういう役割で巻き込んでいくべきかなどを構想すること。

 「分析力」によって得た解を実行に移す段階になると、当事者に対する動機づけが重要になる。つまり、「構築力」で「ビリーブ・ミー」の世界をつくり、これならやれると思ってもらえるかどうかだ。それができて、はじめて進む。

 さて、“総合芸術”に話を戻そう。

 紙こよりの会は、当初から、パートナーシップ制(合作堂)の確立を目指してスタートした。

 これからの時代環境は、さらに複雑化する。しかも、顧客である収集家の価値観は十人十色・・・。恐らく、様々な色合いの作品と向き合うことになるのであろう。では、どのように対処すればいいのか?

 その時、浮かんだのがパートナーシップ制(合作堂)である。「個人の限界を組織の限界にしない。そして、組織の限界を業界の限界にしない」との思考だ。

 多聞理念の中に出てくる「知的サービス」、「切磋琢磨」、「衆知を集める」という言葉はまさに“総合芸術”にとって必要な要素だと思う。

 「問題解決は、いわば“総合芸術”である」という言葉は、言い得て妙である。

 人生も、芸術もつねに問題解決の連続である。その“総合芸術”に関わり、一員として生きていくためには、つねに自己研鑽をし、周りから必要とされる存在であることが求められよう・・・。そうありたいと、改めて思う。

(龍鳳R2.3.23)

 **キーストンのデータ**
誕生日:昭和37年3月15日 産地:北海道・浦河
体重:430kg 毛色:栗毛
両親:父ソロナウェー、 母リットルミッジ
戦績:25戦18勝、2着3回
主勝鞍:東京優駿(ダービー)、弥生賞 京都3歳s、
菊花賞2着、金杯、京都杯
致命傷:阪神大賞典で左前足完全脱臼予後不良
主戦:山本正司(現調教師)
調教師:松田由太郎 馬主:伊藤由五郎

[快速キーストン 栄光と挫折]

昭和42年暮れ、12月17日の阪神大賞典。キーストンはダービー制覇以来の盟友山本正司騎手を背に、気持ち良さそうにターフを疾駆していた。5頭立てということもあって、誰もが快速キーストンの勝利を疑わなかった。それまでの戦績は24戦18勝、2着3回という驚異的なものだったから。
四コーナーを回った時、突然、キーストンの小柄な馬体がラチ内に沈んだ。山本騎手は宙を飛んでターフに叩き付けられた。キーストンももんどりうって、半転・・・。傍らを後続馬がドドドドと駆け抜けて行く。
キーストンの左前足は完全脱臼。今や皮一枚で繋がっている状態で、立ち上がろうにも全く用をなさない。彼方では山本騎手が脳震盪をおこして、ピクリとも動かない。騎手の方を向いて首を振りもがいていたキーストンは三本の足でやっと立ち上がると、一歩また一歩と、昏倒した騎手に向かって歩き始めた。激痛もものかは・・・(注1)
馬が三本足で歩くなど想像も出来ない観客は、心のうちに叫んだ。「キーストン、もう歩かなくていいよ!」「それ以上歩いてはダメだ」 どの馬が勝ったかはもうどうでも良いことだった。実況のアナウンサー松本暢章は涙声となってキーストンを追った。パドックやインタヴューのアナウンサーでキーストンの最期を看取ったのが、杉本清。テレビカメラすらキーストンの姿を追いつづけた。歩いてはいけない!最早手の施しようも無い完全脱臼とは人々も気づかない。まさか完全脱臼の馬が歩けるはずが無いのだ!
キーストンはやっと倒れている山本騎手の所に辿り着くと、心配げに鼻面を摺り寄せ、二度三度起こして立たせようとする。人々の目に、それはまるで、母馬が起き上がれない子馬を励まして、鼻面で優しく立たせようとしている姿に見えた。
山本騎手はその時見た。彼は気絶していてキーストンの骨折を知らなかったが、ボンヤリした視野の中で大きな悲しそうな目、済まなさそうにしばたたく愛馬の目をみた。山本騎手はキーストンの摺り寄せてくる鼻面を掻き抱いて「いいよ、いいよ」と撫で、駆けつけた厩務員に手綱を渡すと、また意識を失っていった。
暫くして甦生した山本騎手は、愛馬の骨折と死を聞いて泣いた。激痛と苦しみの中でキーストンは、なぜ自分をあんな優しい目で見詰めたのだろう?別れを告げに来たのだろうか?テレビで、観覧席で、パドックで、皆、涙してキーストンとの別れを惜しんだが、一番精神的ダメージを受けたのは山本騎手であった。彼はキーストンと別れてから、馬に乗れなくなってしまったのだ。「もう騎乗出来ない」。一時は引退まで考えたと言う。現在調教師の山本正司は、キーストンの話が出ると今でも涙が止まらないと。山本の親友杉本清は、だから山本の前でキーストンの話しができない。

快速馬キーストンは光とともにターフを駆け抜けて、そして、逝った。