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DSC_1569”多聞言葉”シリーズ(探喫09‐38)

自尊心

先週の”多聞言葉”シリーズ(探喫09‐37)“謙虚”に関して、いろいろな感想を頂戴したので、それに関連して“自尊心”について考えてみたい。

通常、私たちは“自尊心”というと、「自尊心が高い」とか「自尊心が低い」とかの言い方をすることが多い。そして、“自尊心”が低いというと、自分に自信がなくて、あまり自分の価値を認められないといった消極的なイメージがある。一方、“自尊心”が高いというと、自分に自信があって、行き過ぎると自己顕示欲につながり、ナルシスト的なイメージ・・・。それが、大抵の人たちの感じ方であろう。

今回、“自尊心”について考え直す機会を得たのは、ある本に次のようなことが書いてあったからだ。

「謙虚な人たちには、ある一つの際立った特徴がある。それはみな“高い自尊心”を持っていることである・・・」と。

ハッとさせられ、辞書で“自尊心”という言葉を引いてみると、「自分の人格を大切に思う気持ち」とある。つまり、自分の人格、「人間性」を大切にする気持ちだということである。

なるほど、それだったら分かる。謙虚な人は、高い“自尊心”を持っている。つまり、自分がどんな存在であるかを知っており、そのことに満足をしているのだ。それゆえに、他人を敬う気持ち、謙虚さも自然と生まれてくるのだという。

小生も以前はそうであったが、日本人はどちらかというと、“自尊心”が高いというと「あの人は、プライドが高そうで・・・」といって、傲慢として受け止めて、敬遠しがちなところがある。そして、謙虚な人というと「あの人は、人格者だ」といって尊敬する。つまり、“自尊心”と謙虚は対極にあるような受け止め方をしていることが多い。

しかし、英語では、Self‐esteem(自尊心)とPride(プライド、傲慢)は、全く違うものであると認識している。そして、Self‐esteem(自尊心)は自信に由来するものであり、

Pride(傲慢)は劣等感に由来するものとしている。

自尊心(Self‐esteem)は自信に由来するものであるがゆえに、他人と比較することなく自分自身を素直に受入れることができる。だからこそ、他人にも謙虚に振る舞うことができるのである。

そういえば、昔から「唯我独尊」(釈迦)、「汝自身を敬え」(ピタゴラス)、「独立自尊」(福沢諭吉)などと、自分自身を尊い存在として認識して、生きることの大切さが語り継がれてきたような気がする。

誰にでも謙虚で、優しく振る舞うためにも、“自尊心”を高めていきたいと思う。

(R元.10.21)グレゴリ-2