トルコ・イスタンブール

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こうして遭難者に対する支援が政府をあげて行われ、69名の生存者は一旦東京に送られ、遭難事故の20日後の10月5日に東京の品川湾から出航した日本海軍の「比叡」と「金剛」により、翌年の1891年1月2日にオスマン帝国の首都・イスタンブルに送り届けられた。なお2隻には、秋山真之ら海兵17期生が少尉候補生として乗り組んだ。

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比叡
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金剛
これはエルトウルル号遭難事件において懸命の救助活動を行った今の串本村民500名ほどの貧しい村で生存者69名の料飲や衣料(オスマン帝国人は大柄なのでちんちくりんで笑いが出たが着物なので何とか、)をそれこそ村民全員が今この時のためにとあるだけのものを持ちより体力の回復にあたったのです。
その後(約100年後1985イランイラク戦争時)最後の飛行可能のトルコ機弐機に邦人205名を乗せイスタンブルへこの時トルコ人は500名以上残っていたが、我々は陸続きなので歩いてでも帰れると日本人を優先したのである。このような国に対し猪瀬知事の発言はいかがなものかと思える。即刻トルコ・イスタンブルに対して丁重に謝罪したのであろうか。        周六 鳳結