周六鳳結の言葉(キハ45)“感謝”

食べ物事情が決して良くなかった子供のころを思い出している。毎日が芋、お正月明けになると余りの餅が続く。団塊の世代やその周辺の人だったら、多かれ少なかれそんな経験があるだろう。

「また芋か〜」「また餅やね〜」「贅沢を言わんと!“感謝”をして何でも頂きなさい!こん罰当たりもんが〜!!」ご飯を一粒でも残すと、「お百姓さんに申し訳が立たない!」そんな会話は日常茶飯事だった。

日本は世界でも有数の経済大国になり、お金さえあれば、何でもすぐ手に入るようになって、我慢することをしなくなった。同時に、“感謝”の気持が持てなくなったような気がする。日本人の心が弱くなった原因の一つに“感謝”が薄れたところにあるのではないだろうか。

人間になぜ、“感謝”の気持ちが大切なのだろうか?それは明白である。「人は皆一人では〜生きてゆけないものだから〜」自然の恵みや他の人の働きなど恩恵を被って生かされているからだ。

忘れ去られた言葉の一つかもしれないが、仏教思想の中に「四恩」という言葉がある。?父母の恩(生んで育ててくれた恩)、?国家の恩(生活を護ってくれている恩)、?世界の恩(互恵の恩)?宇宙の恩(真理を教えてくれる恩)である。

つまり、人間は“感謝”の気持ちをもつ時、四恩の心を思い起こし、「恩に報いたい、世のため人のために、何かお役に立てる自分でありたい」という気持ちになれるのではないだろうか。

“感謝”の気持が、報恩の心を呼び起こす。これは、人間にとって極めて重要なことだと思う。そのことが自らの天命を授かる大きな機会となるような気がするからだ。天命を得た人は、その後の人生に一本の筋が通るようになる。生きる覚悟が定まるからだと考える。

“感謝”という言葉と同時に、いつも思い出される人の名がある。それは、山口多聞さんだ。

「すぐれた指導者に共通して言えることがある。それは、どの人も実に謙虚であり、そして、極めて“感謝”の念に厚いということだ」謙虚で、かつ“感謝”の念が厚い人は、誰からも好感をもたれる。故に、その人のところに内外から衆知が集まってくる。それが、その人の力となっているのだと思う。

“感謝”から報恩、そして天命へと辿る。自ずと我がなくなり、衆知が集まる。

【H25.0828】