君の名は。その名は…

1.であひ

時は皇紀2671年12月8日第二次レストラン戦争勃発。提督は新型戦艦建造計画作成(バトルシップレストラン)計画に基づきロフト内の生活骨董店に資材調達に向かふ。その時店番をしておられたのが画伯である。名刺交換していたのではあるがいきなり翌日会社に訪れてこられ飾ってあった書(1月の中ごろであったと思うが書初めで描いたものがそのまま残っていた)を誉めまくるのである。そして実はといふと自分は画家であり書道家でもあるとのことだ。確かに世界美術年鑑に載っており(油絵)現在は墨字絵(墨で描くのだが字を書いて絵になるといふ面白いもの)をやっているといふ。

2.太陽艇

時は皇紀2672年8月8日ついに太陽艇の進水式が執り行われることとなり同年9月1日には連合艦隊旗艦となる。(バトルシップレストランのグランドオ-プン)そして翌年3月には太陽艇第参艦橋において墨字絵等を作成することになる。此処に合作堂が誕生し名作(迷作)八咫烏に仁王立ちが生まれたのだ。そのほかにも画伯の作品は艦内いたるところに飾られていたのである。

3.アクシデント

時は皇紀2673年4月8日桜は満開、画伯が大腸がんステージ4宣告され緊急手術するも余命6月となってしまったのである。しかし病は気からである。6か月を超えたころにあえて個展(墨字絵隊観閲式)を開催することにしたのである。(10月)追悼に式典になる可能性が大であった。とにもかくにも画伯は作品制作に没頭していくのであった。その間に治療の方はハイパ-サ-ミアとのであひと適合があり。な、なんと墨字絵隊観閲式の10月には元気に主役として参加されて以来第6回(7年間)を数えることになりますます多忙を極めて元気に活動されております。

4.ギャラリ-南蛮と紙こよりの会

時は皇紀2673年10月16日紅葉の頃、ギャラリ-南蛮で展覧会が行われている。此処は大阪梅田から近々にある阪急中津駅直で広さも十分で何しろ天井が高いので畳2畳ほどの作品も難なく飾ることが出来るのである。此処は提督が偶然なのか必然なのか見つけたのであるがオ-ナ-が神社主で、のちに作品を奉納させていただいたり後々には紙こよりの会に参加いただいたりすることになっていきます。第̪参回観閲式を迎えるころに画伯の作風が一変するのである。それは今まで、筆・墨・硯にこだわりがあったのが、な、なんとティッシュぺ-パ-をこよりにして筆とし墨汁液をたっぷり浸しゆらゆらと描いてゆく。そして百均の絵の具で淡く色づけしてゆくのだ。その後重要文化財荒井邸を皮切りに湊川神社や当麻寺・勝福寺・老人介護施設・障がい者施設等々を訪問し実演だけではなくお集まりいただいた人たち(子供たちも)に実際に描いてもらうのである。それからついに青年会議所を巻き込んで紙こよりの会が発足したのである。時に皇紀2678年4月8日

5.日本画新部門に登場

時は皇紀2679年2月20日ついに紙こより画が画壇に登場、美術の杜出版㈱現代美術人気作家年鑑に初登場、同年5月17日には日中友好会館において美術評論家の長谷川栄氏より直々に招かれオ-プニングセレモ二-付展覧会に出席することになる。展示は代表作の蓮華の子だ。

6.轟沈

時は皇紀2675年4月9日前出の太陽艇の話なのですが太陽艇は当時世界最厚を誇る45ミリメ-トルの鉄板を持つステ-キハウスでありましたが時代は既に電子調理器に移り皇紀2675年4月7日最後の出撃(通常営業)を終えて同年4月9日轟沈(閉店)。太陽艇は平和の尊さを教えたが、また、生きる為の教訓を数多く残している(決断より)時を進めて2683年4月19日紙こより画艦隊は世界に向けて出港発進していくのである。今では全世界共通語になっているKAMIKOYORIGAのル-ツである。

7.君の名は

時は現代その作家の名前は誰もが知る世界の巨匠、紙こより画創始者『中田 伸吾』その人である。

左側が物語の主人公

豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎だったころ、琵琶湖の南に金目教というあやしい宗教がはやっていた。

それを信じないものは恐ろしいたたりにみまわれるという。その正体はなにか?
藤吉郎は金目教の秘密を探るため飛騨の国から仮面の忍者を呼んだ。その名は…
「赤影、参上!」

中田伸吾先生にも赤の時代がありました。その時の代表作が文中のものです。

近くKAMIKOYORIGAの続編いやサイドスト-リ-TEITOKU..発刊予定乞うご期待

紙こよりの会6月のお知らせ「今後の予定と目標」絵画界が動く日

2024年秋ユトリロの西山美術館で歴史的な展示実演会「KAMIKOYORIGA」

を開催したいと思っております。(協賛予定・紙こよりの会、美術の杜、ア-トラボ、ア-トクロス,他)それに先立ちまして2024年春・紙こより画3人展(龍鳳・彩雲・鳳彩庵龍雲)による展示即売会を考えております。もちろん実演会もあります。ここでの収益は全て西山美術館での開催のために使わせてもらいますので皆様のご協力を希望いたします。尚、場所に関しましては今迄のギャラリ-南蛮にあらず。龍鳳師が鋭意選定中なのでしばしお待ちください。    鳳彩庵龍雲