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DSC_2093“多聞言葉”シリーズ(探喫09‐40)

100%

過去に何度か、読み直している本のなかの一冊であるが、『100% すべての夢を叶えてくれる・・・たったひとつの原則』(ジェームス・スキナー著)というのがある。

何気にパラパラとめくっていると、次の一節に目が止まり、ハッとさせられる。

「ほとんどの人は自分自身をセーブしている。

人生はこんなに短いものなのに・・・・・

人生は準備ではない、本番だ!

でもセーブしている。

意味がわからないと言いたい」

何故、ハッとさせられたかというと、「自分の人生の目的、何をなすべきか」をずっと考えてきたし、それなりの解を得て生きているつもりだが・・・・・。

しかし、「今の状態で、“100%”と言えるのか?」と改めて問われると、いろいろな言い訳をしながら、“100%”でない一日、セーブしている一日があるような気がしてきたからだ。

「人生は一日一日が真剣勝負、本番だ!」と言いつつも、「明日の本番に備えて、今日はゆっくりしよう」など、やはりセーブしている自分に気づかされる。

この本の巻頭に紹介してある、次の言葉も印象深くて、展示会などでもよく引用させてもらっている。

「普通の人は、自分の仕事に対して持っているエネルギーや能力の

25%程度しか注いでいない。

自分の能力の50%以上投入する人に対して、世界は脱帽する。

そして、100%を注ぎ込むそのまれにない人物に対して、

世界は逆立ちして拝めるのである」(アンドリュー・カーネギー)

「自分なりに精一杯やった!」と思えるとき、「待てよ?」と、この言葉を思い出して、自らに問いかけると、慢心に陥らなくて済む・・・。

自分では、“100%”のエネルギーを出し切ったと思っていたが、「世界は逆立ちして拝んでいないではないか!それどころか、世界は脱帽すらしていない。やはり、並みの仕事しかしていないのか・・・・・」と、自制心が働き、もっと努力をしようと・・・。

また、著者は「100%の哲学は、完璧主義とは違う」という。完璧主義は、失敗を恐れて、結局のところ、何もしない失敗恐怖症の別名だと・・・。それに対して、“100%”の哲学は、改善は永遠であり、より良い明日を目指して、チャレンジする意識である。

人生は、選択。何よりも成功の原因となるのは、“100%”の行動である。

(R元.11.5)