画伯の人間像

”多聞言葉”シリーズ(探喫08‐14)中田伸吾氏寄稿ステージ4キャンサ-乗越仙人に

世界最先端のアートを発信する街、北摂大阪を拠点に活躍するアーティスト5名による作品を展示販売いたします。
感性を刺激してくれるアートを部屋に飾ってはみてはいかがでしょうか。
恒例の11,000円(税込11,880円)アートも約50点登場します。

場所 ギャラリ-南蛮 日程 11月13日より18日まで詳細時間等は後日パンフレット紙面にて尚、16日には海軍軍楽隊による演奏もお楽しみください。更にこの日は仏國直送のBヌ-ボ-試飲会もありますよ。

今回のテーマは  中津駅のアポロン  紙こより画が数多く出展されます。

今展のために南蛮入りするゲストアーティスト3名によるライブペイントもお楽しみに!

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人間像

卓越した人物と出逢う度に、自らを省みる機会を頂くことが多い。自分なりに修めてきたはずの“人間像”にゆらぎが生じる瞬間でもある。

「七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず」と、孔子は自らの人生を述懐し、自在の境地を語っている。いつの間にか、その年齢に到達しつつある自分の心境はというと、いささか心許ない感じだ。

GWの間は、人間学に関する書物を中心に再読しながら、ゆったりした時間を過ごせた。お陰で、自省と共に、新たなエネルギーを蓄えることができたような気がする。

『老子の人間学』(守屋洋 著)という本の中で、老子が思い描く理想の“人間像”について説明してある箇所があったので紹介したい。

一、氷の張った河を渡るように、慎重そのもの(一か八か危険な賭けはしない)

一、四方の敵に備えるように、用心深い(隙がない)

一、客として招かれたように、端然としている(顔つき、態度、姿勢の問題)

一、氷が解けていくように、こだわりがない(わだかまりがない)

一、手を加えぬ原木のように、飾り気がない(一本芯が通っていて飾り気がない)

一、濁った水のように、包容力がある(清濁併せ呑む)

一、大自然の谷のように、広々としている(心の広さ)

「道」を体得した人物は、底知れぬ味わいがあり、その深さを測り知ることができず、説明のしようがないのであるが、あえて形容すると、こうなるのだという。

学生の頃に出逢った『老子』の思想・・・。倫理道徳的な、孔子の『論語』とは違って、

どこか厭世的で分かりづらかったが、何度か読み直していくうちに、「強かで、しなやか、そして逞しい、乱世を生き抜く知恵のようなもの」があり、自分の価値観(=思考の枠組み)が崩れていくのを感じた瞬間であった。

『老子』と言えば、「無為自然」「和光同塵」「上善如水」「大器晩成」「無用の用」など、もうすでに有名な言葉が見事に概念化されて随所に出てくる。つい時間を忘れて、はまってしまう書物である。

その中でも、ずっと座右の銘にしてきたのが「無為自然」という言葉だ。ただ無為に時間を過ごすという意味ではない。「何もしないことを為す」という積極的な意思をもった生き方である。人為が過ぎると自然を害する・・・。一歩退いて考えてみる。

「負けるが勝ち」「損して得をとれ」「柔よく剛を制す」などの格言も、『老子』の思想から学んだ強かで、しなやかな知恵なのではないだろうか。

改めて、理想の“人間像”を考える時間をもてたGWの期間であった。

(H30.5.7)

画伯の人間像」への2件のフィードバック

  1. 龍鳳画伯名言集から引用
    これは愛弟子楽鳳紙こより画家に放った言葉である。
    『君の絵は上手(うま)すぎるんだよ』
    これは褒め言葉ではなく技巧に頼り如何にも表面的に
    巧くまとめているようだが内面的な思いや叫びがどこ
    にも見当たらないという意味である。

  2. 迷言いや名言
    画壇に新旋風を起こす。とある大手画評価系出版社より新部門
    (紙こより画)に號18萬圓との打診があった。これほんと!

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