探偵事務所8

周六鳳結(文責)

 明治38年日露戦争後のポーツマス条約は米国のセオドア・ルーズベルト大統領が仲介した形で成立しました。しかし.米国はその翌年、日本を仮想敵国とした「オレンジプラン」を策定し、何度も見直しを図っていました。大正13年の米国は「排日移民法」を策定し、日系米人の土地をすべて取り上げたのみならず、「日系米人は、子々孫々に至るまで土地の所有の権利を認めない。」という非常に不当、不法、理不尽この上ない法律を作って日系米人を迫害しだしたのです。昭和16年7月25日に、米国は我が国の「在米資産を一方的に凍結」しました。それに、イギリス、オランダも追随しました。同年8月1日、米国は我が国に対して「石油の完全禁輸」に踏み切りました。それにも、イギリス並びにオランダが追随しました。(当時、我が国は米国から約80パーセントの石油を輸入していました。その米国とイギリス並びにオランダから石油を止められたということは、我が国の首元を押えつけられたような状況となったのです。)米国は、中国戦線に100機編隊の空軍を送り込み、同年10月20日、昆明付近でわが日本軍に攻撃を加えました。そして、とどめを刺す様に、米国は実質上の宣戦布告書であった「ハルノート」を同年11月26日、我が国に突き付けたのです。そこで、我が国は止む負えず、立ち上がったのです。3年8カ月の戦いで我が国は、軍民合わせて約310万人ともいわれる未曾有の戦死者並びに民間犠牲者を出し、全国の主要都市を米軍の無差別攻撃によって焦土とされてしまいました。しかし、我が国が国家の存亡をかけて、多大な犠牲を払って欧米と戦ったおかげでアジア、アフリカから戦後多くの独立国が誕生しました。戦前は約60カ国しかなかった世界の独立国が、今は約200カ国にも増えました。われわれの父祖の方々は間違いなく、我が国を護るためと(長年、欧米露の植民地もしくは植民地政策の的ととなっていた)アジアを解放する為に戦われたのです。そして、そのことは、我が国を一方的に悪者に仕立て上げようとしたマッカーサーも認めていることなのです。