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”多聞言葉”シリーズ(探喫08‐26)

配慮

先月末(6月6~7月30日)、紙こよりで描く天川の世界展を終えたばかりである。

紙こよりの会に参加しているアーティストを中心に声かけをし、未来芸術モデルの共同展示を行っている展示会である。

未来芸術を具現化するために必要なモデルの習得、組織体制のつくり方、そして営業展開の手法などについて、グループ討議を通して年一度展示会で発表してもらう内容になっている。2012年にスタートして、もう6年が経つ。

芸術家が一同に会し、意見を交換し合いながら、自分の成長戦略を描く機会をもてる場は滅多に得られるものではない。グループ展示のテーマは、紙こよりで描くとされているので問題ないのだが、そのほかのア-ティストとのあり方に課題が残る

それは何か?メンバー相互の“配慮”の力量であろう・・・・・。

衆知を集めるためのいい機会になるはずだが、ほとんど自分の意見を言わない人がいるかと思えば、独壇場で喋りすぎる人もいる。いずれも“配慮”のなさであろう。“配慮”とは、心づかい、気づかい、心配りである。つまり、他人や他の事のために気をつかうことである。

今後、AIに取って代わられる職業がたくさん出てくるといわれている。それは時代の流れであって、避けて通れないことであろう。でも、どんな職業であろうと、AIに丸投げというわけにはいかないような気がする。

それは、“配慮”という行為ではないだろうか。“配慮”は人間にしかできない究極のマナーではないだろうか。AIに向かって、「おまえは配慮が足りなすぎる!」と嘆いてみてもしょうがないだろう。

職業柄、多くの芸術家の方々にお会いする機会があるが、優れた芸術家は得てして“配慮”の達人が多い・・・。ちょっとした気配りをさり気なくするあたりは、流石としかいいようがない。その行為に全く嫌味がないのである。

墨字絵隊観閲式も期を重ねるごとに、若い参加者が増えてきているが、場の盛り上がりが良くなってきているような気がする。学ぶ姿勢が良いのはもちろんであるが、参加者の“配慮”のレベルが、年々、高くなってきているような気がする。

“配慮”の度合いとは、人や物事に対する関心の高さと比例しているような気がする。

優れた芸術家に配慮の達人が多いのも、自らの作品に対する関心(=思いの強さ)の高さであろう。また、場の空気を読める人でもある。

AT化等が進むに連れ、“配慮”が仕事における成果のキーワードになりつつある。

ps友軍 横軍H会長より入電 大東亜聖戦祭8.4はアパグル-プの自慢話の会に変貌している。

(H30.8.6)minami鉄道