友軍からの手紙(個人名、団体名は仮名)

牧野提督殿

前略、一昨日太陽艇HPに掲載された「提督よりのお知らせ」を読み、立石軍歌愛好会森会長にお伝えしたところ、本日森会長より太陽艇閉店の話を伺いました。誠に残念ではありますが、経営上の事でやむを得ないと思います。

思えば平成22年の秋、大阪で軍歌の会を開催できる会場を探していたところ、森会長及び柾目さんより開店したばかりのちょうど良い店が在るとの情報が入り、これで何とか出来そうだと思いました。

その年の12月に柾目さんの案内で私自身貴店を訪ね、2回を見てすっかり気に入り、これならうまくいくと思った事を思い出します。そして23年の3月第一回の「大阪軍歌の集い」を開催し、大成功と言っても過言ではない成果を上げる事が出来ました。

その後先日の会まで5回、回を重ねるごとに参加者が増え、特に関西の参加者が増え、西日本の中心である大阪に何とか軍歌の灯をともしたい、という私の願いが実現しつつありました。これも軍歌好きなら誰でもわくわくするあの太陽艇一号館を提供下さった牧野孝司提督、剛艦長及びスタッフ御一同のご協力によるものであり、深く感謝しております。

今後はあの軍歌を歌うにうってつけの施設が使えなくなるのは誠に残念であり、とりわけ提督の勇壮なホラ貝の音、そしてあの調子っぱずれの喇叭の音が聴けなくなるのは誠にさみしい限りです。

戦艦大和は世界に誇る46サンチ主砲を備えていましたが、海戦の主力はすでに航空機にとって代わられており、その威力を発揮する機会がほとんどないまま、昭和20年4月7日、徳之島沖の海底に没しました。この度太陽艇も天壱號作戦を発動し、4月7日を終焉の日と定めました。太陽艇の誇る45ミリの鉄板も世はすでに電磁調理器の時代に移っており、あまり活躍する機会に恵まれなかったとのこと、誠に哀惜に耐えません。

しかし、大和が海底に没した後も、あの勇姿が多くの海軍ファンの胸に生き続けているように、太陽艇壱號艦も「大阪軍歌の集い」にはせ参じた多くの軍歌ファンの胸に生き続ける事と思います。

僅か2年間ではありましたが、この2年間は大阪、関西の地に軍歌の種をまき、芽を吹かせ、成長を始めた貴重な2年間でした。「大阪軍歌の集い」はすでに少年期を過ぎ青年期に入ろうとしています。今後もこの青年を育て、立派な大人に成長させなければならないと思っています。この貴重な2年間を支えていただき、誠にありがとうございました。今後も機会があれば、一緒に歌い且つ歓談の機会を持ちたいと思います。提督はじめ、皆様のご健勝を祈り、お礼の言葉といたします。

                                          草々

            軍歌を愛する会   会長 田口 賢太郎